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☆皆さんお元気ですか?☆
前回このブログに投稿した日付、なんと2017年5月。
かつての私の情報発信源だったブログもtiwtterやfacebookにすっかりとって代わられたなあ。
先日アルゼンチンのウェブ・レゲエ・マガジン「REVISTA COOL RULER」に私のインタビュー記事(言語はスペイン語)が掲載されました。で、日本語なら読む人もいるだろな?と思って自ら翻訳してみました。
いくつか前置き。
10月に突然インタビューの依頼が来ました。ON-Uのコンピに収録の「WAR」を聴いて私に興味を持ったのかもね。
インタビュー内容は、日本のレゲエ・シーンの今昔、本国ジャマイカとの差異、「WAR」についてなど。
日本のルーツ・レゲエ・シンガーLikkle Maiに日本のレゲエシーンを紹介してもらう、といった取り上げ方でした。
インタビューは英語でのメールのやりとりでした。
日本のレゲエ・シーンについての私の返答はあくまで私の目を通して感じているものだから、それが「正しい」ということではないです。世代やレゲエとの距離感で答えはだいぶ変わると思う。
ここでは「私の思ったこと」を言ってます。そこはご了承くださいね。
それではスタート!
タイトル「La hija del roots japones」
(↑注釈・「日本のルーツ・ドーター」(レゲエの世界ではルーツ・レゲエを歌う女性シンガーをROOTS DAUGHTERって表すことがある)
日本のレゲエ・シーンはどんな感じ?
レゲエは長い間、日本の音楽好きを魅了し続けているよ。でも市場という点からみたら以前より小さくなっているかなぁ。今から15年くらい前がピークだったと思う。
日本のレゲエはどのように生まれて発展していったの?
ディスコ・ブームが去ってしばらくして、クラブが建つようになって若者はクラブに行き始めた(1980年代後半)。彼らはファンクやソウル、ディスコ・ミュージックに代わる新しい何かを探していたんだ。で、クラブDJがレゲエをダンスミュージックとしてプレイし始めた。レゲエはあっという間に人気に火が付いたよ。
今の状況はどうなの?
今もしあなたが日本にいたら、レゲエのサウンド・システムとセレクター、ダンサー、シンガー、ディージェイをあらゆる場で見ることができるよ。ただレゲエ・バンドと、メジャー・レーベルと契約しているアーティストは激減したけれどね。
あなたはいつレゲエをはじめたの?
高校生の頃、ボブ・マーリーを聴いたの。それはすごい出会いだったよ。その後短大に通うため東京に出て、レゲエのクラブにも通い始めたんだ。そこでレゲエ・ミュージシャンやDJの友達が出来た。それから秋本ちゃん(DRY&HEAVYのベース)に、彼がはじめようとしていたバンドに呼ばれたの。それがキャリアのはじまり。
日本ではレゲエをどんな風に「最適化」しているの?ジャマイカと日本とでは文化がかけ離れているように思うんだけど。
確かにジャマイカと日本の文化は大きく異なっていると思う。でも私はレゲエがわかるんだ。だってどこの国だろうと人々の心に大差はないと思うから。レゲエが扱ってきたテーマ、貧困や差別や不平等は日本でも大きな問題だよ。だから私はレゲエは私たちの音楽だって思うんだ。
日本とジャマイカの文化において共通するものをあげてくれる?
ヘンプ(麻)を使う、魚を食べる。
(↑注釈・日本は古来から麻を育て暮らしに取り入れてきた、という意味でHempと書いたのにインタビューにはMarihuanaって書かれてた笑。そりゃレゲエ・シンガーへのインタビューなんだからそう思う方が当たり前なんだけど笑。しかし私は煙や薬の類いに全く興味がない女です)
世界のレゲエを見渡すと、男性シンガーが”オレオレ・鬼ボス”的な存在感を放っていて、女性シンガー(例えばリタ・マーリーやマーシャ・グリフィス等)の存在は薄いように思うけど、日本のレゲエにおいて女性はどちらをロール・モデルに見立てているの?そしてオレオレ的存在って受け入れられている?
日本のレゲエ・シンガーの女性たちがリタ・マーリーらをロール・モデルにすることはまずないよ。(私の世代だと)ローリン・ヒルやエリカ・バドゥ、ビヨンセとかを手本にしていると思う。一方で男性たちはボブ・マーレーやスーパー・キャット、ブジュ・バントンなどレゲエのアイコンを手本にしていたりするけれど。
若い世代はオレオレ的強さに憧れたり支持する傾向があって、年をとるにつれレゲエは共生の音楽だと思うようになる、と思う。
あなたは世界のレゲエ・シーンに目を向けることはある?例えばラテン・アメリカとかヨーロッパとか。好きなアーティストいる?
ハワイアン・レゲエが好き!ハワイにはレゲエバンドやシンガーがたくさんいるんだよ。The Green、Eli‐Mac、Mike Love、Hot Rain、ooklah the mocあたりが好き。私ハワイで6度ライブしているんだよ、ハワイの人たちに愛されている。
(↑注釈・レゲエの盛んなハワイではDry&Heavyの人気が高く、特にLikkle Maiが歌った「Love Explosion」という曲が現地ラジオ局で長きにわたってヘビロテされた背景があります)
あなたはNeysatuとともにボブ・マーレーの「WAR」をカバーしたね。ジャマイカのリリックをどうやって日本詞に置き換えたの?
あなたにとってそれはチャレンジだった?
ボブ・マーレーの「WAR」は私にとって最も重要なメッセージ・ソングの一つだよ。ボブはこの曲でエチオピアの皇帝セラシエの国連でのスピーチを引用している。人間同士が生きる上でのとても普遍的なことを歌っているんだけど、私たちは未だにその理想を実現できていない。私は「WAR」のリリックを意訳せずになるべくストレートに伝わるように、なおかつ発音もボブが歌った響きに似るように、それらに気をつけて詞作したよ。難しかったけど、うまくできたと思っている。
あなたのLikkle Maiという名前はどういう意味?
Likkle は「Little」という意味。パトワというジャマイカ特有の発音。リトルでなはくリクル(もっと正確にいうならリコゥ)って言うの。
なぜその名前にしたの?
背が小さくて魅力的だからに決まっているでしょ笑。
以上。ご一読ありがとうございました!
リクルマイ
☆皆さんお元気ですか?☆
つい一昨日書き上げた新曲が自分でめちゃ気に入っているので、珍しくこちらに記しておこうと思います。
DUBSTEPやNEWROOTSの現場でヘビロテされているDUBKASM「VICTORY」トラックで作りました。
このトラック、ホーンセクションをフィーチャーしたシャッフルのステッパーナンバーですが、
私が盛んにロンドンや東京のルーツレゲエやダブのダンスに通っていた頃からこの手のトラックでいつか歌を作りたいなぁと思いこがれてました。
そのきっかけとなった曲はThe Disciples「Return Of Addis Ababa」かれこれ20年も前の曲ですが、今なお私のニュールーツベスト10に入る重厚なシャッフルステッパーです。
歌詞は大まかに言えば若者へのアンセムでありチャレンジしている全ての人への賛歌です。
この「VICTORY」はNATURAL VYBZが何とレパートリーとして取り入れており、わずか3名(メンバーのAKIO君とBANANA君、サポートのユッケ君)で見事に再現、それ以上のダイナミズムを与えています。
彼らはホントにセンスが良い
昨日、彼らとのリハで初めて音合わせしてみましたが、もうバッチリすぎました 楽しくて良い汗かいたよー。
この新曲、5/25の「宇田川ジャムロック」5/28の「One Love Jamaica Festival」でやりますから是非聴いてくださいませー
リクルマイ
☆皆さんお元気ですか?☆
久々のブログ更新です。
11月からJAH SHAKAの来日ツアーが始まります。
私Likkle Maiはツアーファイナル、代官山UNITでSHAKA御大のフロントアクトを務めます。
もうかれこれ4回はサポートさせていただいているでしょうか。 SHAKAのパフォーマンスを間近で、そしてサウンドシステムで体感できるのはこの上ない喜びです。
さて「KING OF DUB」と称されるJAH SHAKAですが、 何故KING OF DUBなのでしょうか? 頭をまっさらにした状態でKING OF DUBは?と聞かれたら私はJAMAICAのKING TUBBYだと答えます。
ご存知DUBの創始者にして最高のDUBエンジニアです。 TUBBYの功績についてはここでは割愛します。 知りたい方は上の名前をクリックしてリンク先を覗いてみてください。
KING TUBBYのようにDUBエンジニアでないJAH SHAKAが何故KING OF DUBと称されるのか?
JAH SHAKAのスピリチャルで神々しいな姿や言動ばかりが独り歩きして、実際に彼のパフォーマンスを体験したことがない人は少なからずいると思います。
今回このブログではSHAKAがKING OF DUBと称されて然るべき活動と、なかなか定義付けが難しいDUBというものを私Likkle Maiの体験を通して、拙いながらも話してみたいと思います。
高校生の頃レゲエ(特にルーツレゲエ)に出会ってからTUBBYをはじめとする数々のDUBアルバムを貪っていた私、上京してからはそんな音楽が流れるクラブで夜な夜な踊りまくっていました。
レゲエやダブを掘り下げていくうちに「サウンドシステム」がキモだということがわかってきました。
現在では日本にも多種多様のサウンドシステムがあります。本場JAの最新ダンスホールをプレイするシステムが主流ですが、JAH SHAKAらにインスパイアされたUKスタイルのシステムも決して少なくないです。
ですが90年代前半には、レゲエのサウンドシステムはごく僅かでした。知っているサウンドと言えばTAXI HI-FIやVIPくらいだったかと。
レゲエの母国JAMAICAのダンスホール以上に、レイドバックしたUK(イギリス)のルーツスタイルは私にとって非常に魅力的だったので、 サウンドシステムを体験するならルーツレゲエをプレイするUKがいいなぁと思いを馳せていました。
20歳のとき私は最初の海外冒険旅をしました。 行き先はイギリス、JAH SHAKAのサウンドシステムを体験する為です。
今考えたらかなり勇気のいる行動ですが、勢いと情熱が良い方向に導いてくれたようで、エキサイティングでラッキーな旅となりました。
JAH SHAKAのTシャツを着て、極上のサウンドシステムでDUBに浸れるクラブ、その名も「DUB CLUB」に遊びに行きました。
エントランスでのセキュリティーチェック、IDをみせる通過儀礼はここで学びました。 今は東京などの都会の大きなハコはチェック有りが当たり前ですが、昔はそんなのなかったよね。
いざダンスフロアに足を踏み入れたとき、ベース音が文字通り「地を這い」床を震わせているのを体感した感動は今なお鮮明に覚えています。
イギリスの電圧(240VT)は日本よりも高いのでより爆音が出るのは当然なのですが、さらに私を感動させたのは、単に大音量なだけでなく世界を包み込むような豊かな低音、攻撃的に耳をつんざく高音、重心がかなり低めの中音、これらが非常にバランスよく空間の中に配置されていたことです。
さらに私の胸を熱くさせたのは、ボブマーリーやデニスブラウンさながらのドレッドロックス達やアフリカンプリントのダーバンとドレスを身に纏い「これが私たちのアイデンティティだよ」と言わんばかりに誇らしげに踊る女性たちの姿でした。
ヤヴァい!!!!カッコいい!!!!
ああ、ルーツレゲエはこうやって楽しむものなんだなと身をもって知りました。
この時にあることを発見しました。それはDJの(レゲエではセレクターといいます)プレイスタイルです。
通常のDJのプレイは2台のターンテーブルを使い、途切れることなく曲から曲へなめらかに繋いでいきます。
が、ルーツレゲエスタイルのサウンドシステムは異なります。 1台のターンテーブルでまずはシングル盤A面(ヴォーカルサイド)をプレイ、続いて盤面をひっくり返してB面(DUBバージョン)をプレイするのです。
A面の各楽器の演奏を「抜き差し」することで、ドラムのダイナミズム、ベースラインの美しさを引き出します。
B面におけるヴォーカルは歌詞やメロディの表現者から一転してリズムの一部になったり言葉を強調させるアジテイターになります。
曲の1番大切な歌詞にディレイというエフェクトをかけることで、呪文のようにその歌詞が鳴り響きます。無作為にディレイをかけることも多々あり、予定調和でない新鮮な響きが生まれることもあります。
引き算の美学で成り立つDUBバージョンは、私たちが音の渦の中に入り込み、ただひたすらに踊れるという仕組みになっています。 踊る為の最高の音楽がレゲエでありDUBなんだなと知りました。
その踊る為の音楽を私に観せてくれたのがJAH SHAKAです。
ルーツレゲエをサウンドシステムで楽しむというこの上ない楽しみを見つけた私は、以降お金を貯めてはイギリスに向かいサウンドシステム巡りの旅をしました。
このyoutubeに若かりし頃の私の姿が映っています(3年前のDOMMUNEでDBSさんが紹介していましたね、2分38秒あたりを見てみて)。
今まで5回イギリスを訪れましたが4回目ではDRY&HEAVYの初のヨーロッパツアーでした。
いち音楽ファンでなく「ミュージシャンとして」訪れたというのはなかなか感慨深いことでした。
その時もADRIAN SHERWOODやASIAN DUB FOUNDATIONらとの交流がありましたが、またその話はいつか。
話を戻します。
私がサウンドシステム巡りをしていた90年代から00年代にかけて、その中心にいたのは間違いなくJAH SHAKAです。
その時期のSHAKAはサウンドシステムでのパフォーマンスだけでなく、作品制作も積極的に行っていました。
もともとJAH SHAKAは優れたDUBアルバムを多数世に出していて、自身のバンド”THE FASIMBAS”と作ったオリジナル作、10作を数える「Commandments Of Dub」シリーズなどなど80年代だけで相当数リリースしています。
90年代に入るとジャマイカで音源制作(演奏はFIRE HOUSE CREW、録音とミックスはMUSIC WORKS)した作品を連発します。
MAX ROMEO「FAR I CAPTAIN OF MY SHIP」、HORACE ANDY「JAH SHAKA MEETS HORACE ANDY」、ICHO CANDY「GLORY TO THE KING」あたりは本当に名作です。
ジャマイカの制作陣によるモダンさとSHAKAならではのストイックさが見事に調和しています。
JAH SHAKA作品を初めて聴く方にはこれらをお勧めします。今ジャマイカで人気のあるルーツリバイバルのシンガーCHRONIXXやJAH9が好きな人はドンピシャだと思います。 上記の作品にはそれぞれDUB盤があり、「commandments DUB」に続くシリーズもの「DUB SALUTE」になっています。
もの凄くカッコいいです。歌モノ以上にDUBそのものを楽しみたい方、昨今のDUB STEPがお好きな方にお勧めします。
まだまだお勧めしたい作品は山ほどありますが、私はレコ屋さんではありませんのでこの辺にしておきます(笑)。
話をそろそろまとめるとしましょう。JAH SHAKAは60年代後半からサウンドシステムで一つのターンテーブルでA面B面を対比させることでDUBの魅力を半世紀にわたり伝えてきました。
注)近年は環境や条件によって2つのタンテを使うこともあります。
全盛期は10時間ノンストップでプレイしていたんだから!!!!
それだけではなく自身のプロデュースによる優れたDUBアルバムを多数世に送り出しています。
さらにはJAH メッセンジャーとして素晴らしいメッセージを世界各国のJAH CHILDREN(レゲエ好き)に届けています。
パフォーマンスの最後にターンテーブルの針を上げてからメッセージを伝えるのはファンにとってはお馴染みの光景なのですが、震災から間も無い2012年来日時には福島や東北に向けて温かく励みになることをお話しされていて私の目頭は熱くなりました。
聞き取りやすい英語ですから、実際に会場に足を運び朝方のメッセージにまでお付き合いいただきたいです。
このブログを読んで、JAH SHAKAのパフォーマンスに興味を持ってくだされば幸いです。
ついでに私Likkle Maiも宜しく(笑)。
リクルマイ