☆皆さんお元気ですか?☆
今日は反原連が野田首相と会談した記念すべき日。
Ustreamでその様子を見ていましたが、いつもデモ現場でお会いしている方々のビシッと正装した姿、そして毅然とした口調で野田首相に発言していた姿に胸を打たれました。
間違いなく記念すべき第一歩。
これからも私たちは脱原発をNever Never Never Never Give Upの精神で続けるのみです。
さて、昨日の続きに戻ります。
どんなことを武藤さんがお話ししたか、列挙します。
原発事故直後、政府はスピーディーの内容、メルトダウンの事実を共に公表せず。
さらには被害を矮小化した、これらによって多くの福島県民が非難のきっかけを逃した。
山下俊一など御用学者が年間に浴びる放射能物質の量が100ミリシーベルト以下であれば健康被害はないと主張。こちらも多くの県民の非難のきっかけを逃した。
放射性物質を体内に溜め込まないためのヨウ素剤の配布は、県からの許可なしでは配布できないので、ヨウ素剤を得た人、得なかった人が自治体によって分かれた。
障がいを持つ人の非難の大変さ・・・ヘルパーさんがついていないと非難が極めて困難な背景、そしてヘルパーさんの労働時間も通常よりはるかに増える(←この件に関しては訴訟を起こしてヘルパーさん達の残業代は守られた)
原発事故においては、老人、障がい者、子供、など弱者になるほどに保護されない。
家族が分断する・・・住宅ローンなどの理由、家を離れると税金など支払が増えてしまうため夫婦のどちらかがその場に残り、家族が離れ離れになる。
鹿島など大手ゼネコンによる除染ビジネス・・・その実情は薄手のマスクと手袋といった極めて手薄な防具のみで、放射能被害にあい農地をダメにされた農民やお金に困っている人々などを安い賃金で働かせている。
首をかしげざるをえない「食べて応援」・・・福島の農産物がしっかり除染されていることをアピールする手だてとして、大阪の小学生を招いて「福島産の桃を食べ放題」を企画。
さすがに小学生は問題だということになり、大学生に変更した経緯。
東京電力の作ったマニュアルによる賠償の資料、事故を起こした側が作る賠償資料とは何事か。
核のゴミを若い世代に押し付けてしまうことに憤り、訴訟を起こすことを決意。
広瀬隆氏の告発が受理されたことをきっかけに、安田弁護士や河合弁護士らと勉強会を開き、福島原発告訴に向け動き出す。
被告人は東電 取締役・会長 勝俣恒久など33名。
2012年6月11日、1324人の福島県民が福島地方検察庁に「福島原発事故の責任を問う」告訴を行い、8月1日に正式に受理された。
・・・このような経緯を武藤さんはお話しされました。
とっても控えめで小さな声なのですが、その口調にはしっかりとした意志、そして優しさを感じました。
一通りお話しをした後に、武藤さんの森の暮らし、彼女の経営していた里山喫茶「燦(きらら)」がどういうものかを垣間見ることができるスライドショーが10分ほどありました。
土ならしから始めた手作りの家、中古で買ったソーラーパネル、年代物の蒸し釜、、、。
これらの画像、ほんとうに貴重だからぜひとも見て頂きたい。
なんて豊かなんだろう、と思わずため息がでました。
縄文時代の主食だったと言われるドングリを茹でて食し、ドングリにつくドングリ虫をも煎って食す。
1万年続いた縄文時代。その時代には「狩りをする道具」はあっても「人を殺す道具」はなかったそうです。
武藤さんはその時代の人々がどんな考えをもっていたか、ドングリを食すことで近づきたいと言っていました。
同時に国内トップの大手広告宣伝会社・電通の「消費の為の10か条」を読んで愕然としたそう。そこには「いかに人々に浪費させ、使い捨てさせ、飽きさせ、新しいものに飛びつかせるか」が描かれていた。
だからこそ彼女の里山喫茶は電力すら自給し、昔ながらの調理器具を大切に使うというスタイルなのです。
このあたりの武藤さんの感性に、大いに共感してしまいました。
武藤さんはいち人間してもとてもまっとうな感性の持ち主なのだと。
原発告訴団の説明を約1時間、その後の森の暮らしスライドショーが10分。
すごく濃密であっという間でした、そして武藤さんと福島の皆さんを今後もしっかりサポートしていきたいという思いを強くしました。
その後は来場者の質問コーナー30分。
最後の最後に武藤さんが
「福島原発告訴団」の告訴声明を読みたいと思いますと、声明を読み始めました。
その告訴声明をここに記したいと思います。
「福島原発告訴団」告訴声明 2012年6月11日
今日、私たち1324人の福島県民は、福島地方検察庁に「福島原発事故の責任を問う」告訴を行いました。
事故により、日常を奪われ、人権を踏みにじられた者たちが力をひとつに合わせ、怒りの声を上げました。
告訴へと一歩踏み出すことはとても勇気のいることでした。
人を罪に問うことは、私たち自身の生き方を問うことでもありました。
しかし、この意味は深いと思うのです。
・この国に生きるひとりひとりが大切にされず、だれかの犠牲を強いる社会を問うこと
・事故により分断され、引き裂かれた私たちが再びつながり、そして輪をひろげること
・傷つき、絶望の中にある被害者が力と尊厳を取り戻すこと。
声を出せない人々や生き物たちと共にありながら、世界を変えるのは私たちひとりひとり。
決してバラバラにされず、つながりあうことを力とし、怯むことなくこの事故の責任を問い続けていきます。
「福島原発告訴団」告訴人一同
・・・もうこの文章にグッときた。
福島・東北のことだけ考えてない、日本の未来をしっかり踏まえている文章。
こちらの方が励まされているような気持になりました。
私個人が考える、これからの日本そして生き方・・・武藤さんは既に福島の地で実践しておられた。
これは支持せずにはおれません!!!
皆さんにもぜひともお話を聞く会、行ってみてほしいと思います。
さて、前述の西山監督の「主権在民」にはこの告訴までの経緯が描かれているので、武藤さんの講演会に行けない方は映画をチェックしてみるのも良いと思います。
ただこの映画は長いです・・・120分。無礼ながらもあえて正直に言わせてもらうと、45〜60分に尺を短くしても、映画の訴えたいことは十分に伝わると思いました。
エンタテイメント性皆無で2時間以上は、いくら興味がある私でもつらいよ〜。
私世代から私より若い世代は情報化社会(さっと見て、さっと忘れるせっかちな世界)に生きています。
私自身この「せっかち世界」には否定的でありますが、でも全否定はできないし合理的であることも事実。
すごく大事なテーマを扱っているだけに、西山監督の世代だけでなく、私たち世代にこそ見てほしいと私自身が思いました。
だからこそもっと集約してどの世代も集中を切らさずに見れる60分以内に映画をまとめてほしいと切望します。
しつこく言いますが、より多くの人に見てほしいと思えばこその建設的・感想です。
以上、長々とご拝読ありがとうございました!!
リクルマイ