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「金曜官邸前抗議」

☆皆さんお元気ですか?☆

新年も明けて早12日、今年も宜しくお願い致します。

今年最初のブログは、この本の紹介を。
野間易通「金曜官邸前抗議」

毎週金曜日に永田町の首相官邸前にて現在進行形で行われている反原発の抗議活動の模様を克明に描いたドキュメンタリー本です。

3.11以降、全国各地で様々な「反原発」のデモや抗議活動が展開されています。

原発事故が抱える諸問題に対して黙っちゃいられない多くの人々と同様に、私も首都圏で開催されるデモや集会、説明会などに積極的に参加したり、時にはサウンドカーに乗って私の楽曲を通して「原発やめろ!」を訴えたりしています。

この本の著者・野間易通氏は、官邸前抗議を呼びかける「首都圏反原発連合」のメンバーです。
私も何度となく彼らの主催する金曜日の官邸前抗議に足を運び「大飯原発再稼働反対!」の声を上げています。
つい先日(2013年1月11日)も短い間でしたが抗議の列に加わっています。

さて本の話です。
この本は私に全くもって新しい経験をもたらしました。

たった数ヶ月前の、自分自身がその場で体験したことが言葉化され記録されているのです。

当事者(私)がはっきりとした"記憶"を持ちながら、その"記憶"を検証・追体験する・・・こんな読書は初めてです。

特に第3章「再稼働のセレモニー」での臨場感たるや!

著者の控えめなほどに淡々とした語り口とは反対に読み手の心に熱いものがこみ上げてきます。

東電や政府が負うべき責任とその具体策をうやむやにしたまま強行的に福井の大飯原発再稼働を決定した直後、20万人ほどの市民が官邸前に集結した6月29日を筆頭に、2012年の6月〜7月は空前絶後の抗議が展開されました。

あの時の光景は忘れようとしても決して忘れられません。
ここは日本かと一瞬疑ってしまうほど、路上に溢れかえる人々の群れ、群れ、群れ。
怒りの中に希望や祈りのトーンも含まれた「再稼働反対」の声、声、声。

これほどまでに多くの人々が「原発いらない」を訴えに官邸前に集まるとは!!
現実として目の前に広がる光景に私自身鼓舞されたし、かつてない規模の民衆運動の中にいるという興奮に打ち震えました。

繰り返されるコールと打楽器のビートによりトランス状態になっている人もいたし、警官に向かって罵声を浴びせる輩もいたけれど、興奮した人々が暴走することはなく日本人的な秩序が保たれていました・・・このことにも驚きと感動を覚えました。

一気に吹き出てくる私自身の記憶に酔いしれ、しばし反芻した後本書に戻ります。

やはりあの規模のことを取り仕切る側は本当に、本当に、大変だということが伝わってきます。

デモや抗議の場において自分が見渡せる範囲というのはせいぜい数メートルぐらい。
まして万単位の規模になったら自分の視界は群衆に遮られ身動きさえも難しい状況になることは私も経験済み。

20万におよぶ人々がトラブルに見舞われず無事故で帰れたということは奇跡的です。
それをコアメンバーと協力スタッフ約130名で下支えした反原連の方々の尽力に敬意を表します。

同じ官邸前でも私がいた場所から少し離れたところで反原連スタッフの非常に緊迫したやり取りが時に警官を相手に、時に参加者を相手に繰り広げられていたくだりは、その場にいた人いない人関わらず多くの方に読んでいただきたいと思います。

野間氏は「反原連は実務集団」と繰り返しこの本で述べていますが、どっこい私にとっては「涼しい顔で大胆不敵なことをやってのける」集団という印象です。

そして非常に忍耐強く許容の大きさもある集団だと思います。

挨拶を交わすぐらいの間柄ですが、この本に描かれたスタッフひとりひとりの言動に尊敬の念と親しみを覚えます。
でも照れくさいから本人たちの前では言ーわないっと(笑)。


レゲエ(特にメッセージを重視するルーツレゲエ)を生業とする私は、3.11以前から、そしてそれ以降は顕著に、いわゆる市民運動に関わってきました。

いや、駆り出されたというのが正しいかも。

音楽の嗜好で繋がる関係でもスポンサーがいてお金が発生する話でもない、イデオロギーのみ(この場合は脱原発)で繋がる仕事は、精神的にも肉体的にもタフさが求められます。

「団体に属さない"普通のひとたち"が集まる場」と言っても抗議の場には必ずピリピリした緊張感が存在するのです。

さらには同じ脱原発を望む人の間にも面倒くさい「分断」や「排他」があり、もちろん明らかに妨害してやろうという悪意の人だって少なからずいるのです。

私自身、今ごろになって「よくあの現場で気負うことなくライブができたものだなあ・・・」と、自分の図太さを再確認することがあるけれど、これは反原連をはじめとする市民活動家の方々が、想像を絶する慌ただしさの中でも「周到に、適切に」ライブ環境を整えてくれたからだと思います。

話を戻すけど、私たちが「来週も来ようか」と思う官邸前のあの空間は、当たり前に存在している訳ではありません。
場を設ける人々の堅実な行動とその場に足繁く通う人々によってその場を得ているのです。

金曜官邸前抗議は間もなく2年目に突入しようとしていますが、民意をダイレクトに発信する場として今後も継続・発展していくことでしょう。

官邸前抗議を体験した全国各地の人々が、彼らの地元で「反原発」の抗議を展開していると聞きます。
それが全国で100箇所以上にも及ぶそうです。

この本のオビに推薦コメントを書いている社会学者の小熊英二氏は彼自身の著書「社会を変えるには」で、次のようなことを言っています。

よく「これからの日本はどうなるでしょうか」と聞かれることがあります。私はたいてい「ふつうの先進国になっていくでしょう」と答えることにしています。

一昔前に「日本のユニークさ」といわれた特徴、社会と政府におまかせで、政治に無関心で消費だけやっていても、レールに乗って一億総中流の安定状態が続いてくれる、という時代は終わりました。

ほかの先進国と同様に、そこそこ格差があり、そこそこにドロップアウトや犯罪があり、そこそこに市民参加や社会運動や政権交代があり、ときどき財政破綻や恐慌もあり、自分で考えて自分で行動しなければやっていけない社会。そういう国になるでしょう。

3.11以降、私のような名も無き民が声を上げる重要性と有効性を学びました。

政権が変わり、民意と逆行する形で再稼働や新たな原発の設立案が浮上していますが、もし官邸前抗議をはじめ全国で起きた「反原発」運動がなければ事態はもっともっとひどい、目も当てられないことになっていたと想像します。

市民による抗議活動が暴走する政治への抑止になっている・・・このことはもっともっと評価されるべきことだし、私自身も語りついでいかねばならないことだと思っています。

原発は「様々な利権」のもとに成り立っています。
そして事故が起きた場合、被害者となるのは100%何の罪もない私たち一般市民なのです。

原発問題は、この歪んだ社会構造の縮図とも言えます。
私はこれからもこの問題に異議を唱えていきます。

最後に「金曜官邸前抗議」は押し付けがましい主張も啓蒙的なことも皆無のドキュメンタリーです。
だからこそ、デモや抗議にアレルギーを感じる方にも読んでいただきたいと思います。


長文読んでくださってありがとう。

リクルマイ
likklemai * - * 16:29 * comments(2) * trackbacks(0)
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