☆皆さんお元気ですか?☆
あっと言う間に春到来。
東京は桜吹雪から葉桜へと移行しています。
私の家の前には桜並木が1km以上続いてましてね、実に良い目の保養になりました。
さて今日は読んだ本の感想文を。
W.リップマンの「世論」という本です。
著者リップマンがこの本を書いた動機は、第一次大戦後の混乱の原因究明にあったと言います。
1922年に発刊されたこの本はネット時代を生きる私たちにド・ストライクな言葉を投げかけてきます。
どのような本かざっくり言いますと…。
私たち一人一人は世界で起きている事象、事件を的確に認識することができない。
何故ならば実際の事象、事件は極めて多角的で複雑だからである。
そこで私たちは、自分自身が既に経験したり見聞きして形成したイメージ、すなわち”擬似環境”に判断を委ねる。
個々の”擬似環境”は千差万別であるから、同じ事件に対しみんなが同じ意見にならず正反対の意見まである。
そのような、常にゆらいでいるものが「世論」なのだそうだ。
これは本当にそうですね!
今、世間を騒がせている事柄、
例えばロシアによるクリミア編入、台湾の学生による占拠行動や、STAP細胞論文の騒動、これらの事柄を高度な次元で認識できる人は極めて稀ですよね。
ロシアがどのような政治的、宗教的背景を持つ国か、さらにはその周辺国をどの様に扱い、それによって米国や西側とどう渡り合ったか勉強するとなると膨大な時間と労力が要ります。
それをすることなく、私たちは私たちが既に持つロシアのイメージ、いわゆる東ヨーロッパを取り仕切っている、とかKGBの諜報員が暗躍するコワい国とか、レーニン、スターリン…が頭に浮かびます。
私たちの無意識下でこれらイメージが事象と結びつくと、「事象そのもの、事実」とはかけ離れた方向に向かうのですって。
著者は、この既成概念=ステレオタイプ(発音はスティロテイプが近いかな、昔イギリス人にステレオタイプって言っても通じませんでした・笑)の存在が事実を歪曲すると指摘しながらも、
ステレオタイプがなければ私たちは混乱するのみだと言う。
私たちが初めて目の当たりにする事象は赤ちゃんの世界にも似て「大きくて盛んで、騒がしい一つの混沌状態」なんだそうだ。
赤ちゃんが成長の過程で多種多様な既成概念を獲得するんだな、その既成概念で社会性を保つのが、まぁ大人なんだろう。
大人をどう定義するかは別として。
メディアはステレオタイプと私たち事象を的確に捉えることのできない人間の関係性を熟知していて、私たちを知らず知らずに誘導します(程度の差こそあれ)。
そして私自身にも言えることですが、
自分の考えは皆もわかるはずだ、とか、
自分の見解は正しいはずだ、とかいう
「思い込み」には注意が必要だな、とこの本は気づかせてくれます。
リップマンの他にも、100年前に既に情報が人々に与える影響に警鐘を鳴らした人はいます。
100年前の通信網と言えば電報や有線無線、そんなものです。
新聞だって限られた人しか読めなかった時代。
そんな時代でも既に各都市では他国の出来事が把握できる国際化社会となっていた訳です。
もちろん昔の方が情報を得るのに腐心しただろうが、
今、余りに安やすと入ってくる情報にどれだけの価値があるのだろうか?
そしてそれらをあっさり受け入れて良いのだろうか?
ここからは私の体験談になりますが、
実際に旅して見聞きすることとネットの情報からその国を感じることには大きな差があります。
現地で、例えばヒヤっとする危険を味わったり、かと思えば見知らぬ人からの親切に感激したり…。
瞬間、瞬間が全て「いいね!」ではありません。
そしてこちらがどれくらい他国の言葉や文化的背景に理解があるかでも、滞在の充実はまるで違います。
旅のような実行動と違って、ネットからの情報は、”体験を伴えない”から偏ったイメージがつきやすいのではないか…私はそう考えます。
私の見解は、100年前よりも今の方がイメージに左右されやすく、悪い言い方をすれば騙されやすい時代になっているのではないかなと。
既存メディアはもちろん、ネットさえもそれを助長する装置になっているのではないかと(全否定ではないよ)。
100年前の著者がパソコンやスマホを駆使する私たちの為にこの本を書いたわけではないはずなのに、
その分析や哲学は今に十分過ぎるほど適応する。
いゃ恐るべし!
この本には下巻があり、民主主義にまで話しが及んでいる。
下巻は貸し出し中になっていたから借りられなかったがすぐに読みたいなぁ。
私は、
何故この時代を生きているのか、
どのように近代日本が形成されて今に至るのか、
とっても知りたいと思っています。
この便利で有り余るほどモノがある時代に、みんなが見落としているものを広い上げて、こっそり自分の財産にしたいのです(笑)。
おっとこの発言は、いま同時に読んでいる別の本とも関わってくるな。
本日はこのへんで。
リクルマイ