☆皆さんお元気ですか?☆
2回目となる台湾ライブツアーから帰国しました!
ライブのレポートや写真は私の
フェイスブックにアップしているのでよかったらのぞいてみて下さい
ブログでは今回の旅で考えたことを書いてみました。
アジア近隣国を「◯十年前の日本みたい」と例える人は多いですよね。
私自身もそんな事を言ったことあるし、私より上の世代の方々からこの言葉をよく聞きます。
もちろん皆、なんの意図もなしに感じたままを言っているのでしょう。
でもこの言葉、自分も使うくせに少し違和感ある表現だなとも思っていたので、なぜそう思うのか考えてみました。
おそらく経済的な視点から出る言葉ではないかなと。
日本は近隣国より早く欧米由来のインフラが整い先進国の仲間入りを果たしました。
でもそれは単に時間の差であって優劣の差ではないと思います。
国外に渡航できるのは経済発展あってのことだからそれを否定するつもりはありません。
だけど経済というものは経済活動に参加する(させられる)全ての人間を、たくさんの敗者と少しの勝者に振り分けるんですよね。
経済をものさしに思考すると比較論になりがちだし、知らず知らず差別的になるような気がしないでもないです。
「◯十年前の日本」とか「昭和の頃の日本」に、うっすら我々の側の優越感みたいなものが含まれているような…。深読みかな。
一方、文化というのは欧米由来の経済が生まれるはるか前からその土地土地に存在し、時代時代で形を変えながら生きながらえている実に懐深いものです。
これは国外に限らず、日本にいても千差万別の文化を感じることができます。
文化に触れるのに必ずしもお金(経済活動)が要るわけではありません。
日本とは姿の異なる寺院を遠くから眺めたり、ひしめき合う屋台を物色するだけでも十分に文化を享受できます。
ウナギのかば焼きの匂いだけでメシが食える的な!違うか(笑)。
文化に触れるたびに「それぞれ素晴らしい!」「それぞれ正解だ!」と思います。
たとえ私たちが文化を比較しても文化は私たちを比較しません。
文化に安らぎを与えられることがあっても、経済には安らぎを与えてもらえません。
文化は常に人の側にいて、その時代時代を生きる人の鏡になってきました。
経済は常に国家または国家を動かす力をもつ団体の側にあります。
だからなるだけ文化的な視点からものをとらえたいなぁと思うのです。
と言ってもそのような悠長な自分になれることが実際難しいのですが(苦笑)。
人間と同じように国家にも青年期、壮年期、老年期があると思います。
半世紀前に高度経済成長をとげた日本、もう老年期に差し掛かっています。
その老いた体にカンフル剤を打って経済に東奔西走するのはもう無理があるなぁと。
私が過ごした青春に近い体験をするのは、今の日本の若い子ではなくフィリピンやインドネシアの子だと思います。
バブルがはじけてもなお経済優先してきた日本。
終身雇用なんて言葉は完全なる死語となってしまいました。
貧富の差は拡大し、良くも悪くも多様化が進みました。
その多様の中から新しい価値観や新しい幸せの形が生まれていることも事実です。