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あの日から早4年

☆皆さんお元気ですか?☆

東日本大震災から4年がたちました。

岩手県宮古市出身の私、この大震災が人生の大きな出来事となったことは言うまでもありません。

震災直後は常に気を張り、テンション高めな日々でした。

でも正直、この4年で2つの作品「DUB IS THE UNIVERSE」と「きたぐにのはる」をリリースしたことで、自分でも不思議なくらい震災直後の記憶がフラッシュバックして悲しみに襲われています。

きっと皆には伝えなかったプライベートな悲しみが、月日が経つのとは裏腹にじわじわと蘇っているのだと思います。

2月27、28日と生まれ故郷の岩手県宮古市でライブをしてきました。

その2日目、岩手日報という岩手県で一番読まれている新聞の企画でイラストレーターの小池アミイゴさんと宮古の埠頭に向け歩きながら対談する機会があったのです。

道すがら私の亡き父が育った「巨人荘」に立ち寄りました。

このくだりは
岩手日報のサイトに詳細が載っていますのでご覧ください。

この巨人荘のすぐ側に、今まで語らずにいたもう一つの話があります。

父方の親類は海の側に住んでいます。
父の叔父にあたる、私にとっての大叔父も巨人荘のすぐ裏手に住んでいました。

4年前の3月11日、大叔父夫妻はいつものように自宅にいました。そこには大叔父夫妻の娘の子供達がいました。

大叔父の娘は仕事のため未就学の子供達を自分の両親に預け、仕事後に迎えに行くのが日課でした。

しかし3月11日の午後、大津波が大叔父の家を襲い、夫妻も子供達も帰らぬ人となりました。

子供達と両親を一度に失った娘の気持ちを考えると…。いてもたってもいられません。

大震災に関連して子供を失った友人が何人かいます。

私には子供はいませんが、可愛い甥姪が7人もいますから子供に先立たれる親の苦しみは少しはわかります。

もちろんこのことは対談では言えなかった…。

大震災から4年、その時の悲しみや苦しみは何故だか私にとっては薄れるどころか増しているのです。

私は非力ながらも震災がもたらしたものの怒り、悲しみ、不条理…いろいろなものを表現してきたつもりです。

だけど最近になって私も悲しみの淵にいるんだな、助けを求めているんだなということがわかりました。

「きたぐにのはる」のような歌詞を、とんでもない重い歌詞を作ってしまったものだと、自分で怖くなる時もありました。

私さえこんなに心をかき乱される。
東日本の方々がどれだけ辛い思いをしているのか…。
ああ、震災も原発事故も無かったことにしてくれないかな。これは本音です。

しかし、今日は4月末から始まる「きたぐにのはる」ツアーのリハでした。

「きたぐにのはる」も民謡レゲエも歌って、やはり私を救うのは音楽と良い音楽仲間だと実感しました。

震災の距離感は人それぞれ。だからもう大丈夫と言える人もいるし、まだまだダメと言う人もいる(私は後者)。

非力な私に出来ること、今取り組んでいる自分の音楽を仲間達と伝えることです。

努力します。

リクルマイ





likklemai * - * 03:09 * comments(0) * trackbacks(0)
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